大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1780号 判決

控訴人(原告) 宿谷亀三郎

被控訴人(被告) 箱根町長

原審 横浜地方昭和三一年(行)第五号

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が昭和二十六年二月十二日別紙目録記載の土地についてなした旧湯本町道路第二一二号路線の認定は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、認否は、控訴代理人において、「湯本町は本件提起後箱根町に合併され、箱根町長石村喜作が旧湯本町長露木高次郎の地位を承継した。昭和二十六年一月二十二日当時の登記簿上の所有者訴外加藤喜代子名義で、旧湯本町長に対し、本件土地三筆について上地願が提出せられ、旧湯本町長はこれを前提として本件路線の認定をしたのであるが、右上地願は右加藤喜代子の父訴外加藤清一が旧湯本町役場吏員に欺かれて押印、交付したものであり、その上右三筆は昭和二十五年四月十八日右加藤喜代子より控訴人に売渡してあつた(尤も当時はまだその旨の登記がされてなかつたが、その後その登記をした)ものであつたから、右加藤喜代子は昭和二十六年二月十九日旧湯本町長に右上地の撤回を申入れ、同町長もこれを承認した。従つて(前提である右上地が撤回せられた以上)本件路線の認定は無効である。

なお、本件路線認定当時は旧道路法施行中であり、路線認定によつて格別私権に制限を加えられることはなかつたが、その後改正された現行道路法では私権に対し第九十一条のような制限が加えられることになつたから、現行法の施行と同時に控訴人に対し、本件土地を路線と認定することによつて生ずる損害につき正当な補償をしない限り、爾後右路線認定は憲法第二十九条第三項に違反することとなるのであるが、控訴人は今日まで右正当な補償を受けていないから、右路線認定は現行道路法の施行と共にその効力を失つたものである。また憲法第二十九条第三項には私有財産を公共のために用いることを許しているのであるが、本件路線の認定が「公共のため」になるか否かは、被控訴人の恣な判断に委ねることなく、土地収用法により「事業の認定」を受けて始めて定まるのである。然るに旧湯本町長はこの手続を経ないで本件路線の認定をしたのであるから、この認定は法規に反するものであつて無効である」と補足陳述し、新たな証拠として甲第七、八号証を提出し、被控訴代理人において「旧湯本町は町村合併により箱根町に合併され、箱根町長が旧湯本町長の地位を承継したこと。本件三筆の土地が現在控訴人の所有に係ること、訴外加藤喜代子が控訴人主張のとおり上地撤回し、旧湯本町長がこれを承認したことはいづれも争はない。甲第七、八号証の成立は認める。」と述べた外原判決摘示のとおり(但し控訴人は告示の取消を求める部分を減縮したので、これに干する部分を除く)であるからここにこれを引用する。

理由

本件三筆の土地はもと訴外加藤喜代子の所有であつたこと、同訴外人は昭和二十六年一月二十二日旧湯本町長に対し本件土地について上地願を提出したこと、同年二月十二日当時の旧湯本町長が本件土地について町道二一二号をもつて(旧湯本町道として)路線の認定をしたこと、これについては旧湯本町議会の議決を経たこと、同町長は右について区域を決定し、同町告示第一〇号をもつてこれを公示したこと、その後右訴外人は旧湯本町長に対し、前記上地の撤回を申入れ、同町長が同月十九日右撤回を承認したこと、および現在本件土地は右訴外人から控訴人に所有権移転の登記がなされていることはいづれも、当事者間に争がない。

控訴人は訴外加藤喜代子の右上地を前提として前示のとおりの路線認定がなされたのであるから、右上地が撤回せられた以上右路線認定はその前提を欠く無効のものとなる旨主張するのであるが、私有地を道路敷とするためには買収又は土地収用等場合に応じて必要措置が講ぜられるのであり、事前に道路敷予定地所有者の上地が行われるのは、右手順を円滑に運ぶ手段として通常採用せられる方法であるけれども、前記上地が前記路線認定の法律上の効力を左右する不可欠の前提であると解すべき法律上の根拠は見出されない。上地があればその土地の売買契約もはかどるではあろうが、上地が撤回された後はその交渉に時日を要し、又時には土地収用をしなければならないような事態ともなりかねないというに止り、上地が撤回されたからと云つて本件路線の認定が効力を失うものとは解し難い。

なお、控訴人は正当な補償を伴わない本件路線認定は憲法第二十九条第三項に反し、無効である旨主張する。けれども右路線認定は旧道路法施行当時になされたことであつて、旧道路法には路線認定により私権を制限するような格別の規定は見当らない。また現行道路法第九十一条には路線認定によつて私権の制限せられることが規定せられているが、この制限によつて損失を受ける者は同条第三項によつて通常受けるべき損失の補償が得られるのであり、(補償を受ける者は必ずしも道路予定地所有者に限らない以上、補償手続は相当複雑困難な場合もあり得るのであり、)右補償は路線の認定、区域の決定に随伴することはもちろんであるが、必ずしも右制限と補償とが同時になされることを要しないことも云うまでもない。補償なくして右制限だけを加えることは許されないことは明白ではあるが補償が多少遅れることはあつてもそのために路線の認定、区域の決定を無効とすることは当らない。殊に本件のように路線の認定、区域の決定後の法律の改正によつて生じた制限について、補償がおくれているからというだけでは、既に有効になされた路線の認定が無効に帰するものとは考えられない。何となれば同条第四項に準用される同法第六十九条第二項及び第三項の手続によつても補償が得られなかつたと云う主張も立証もないからである。従つてこの点に関する控訴人の主張を認めることはできない。

更に控訴人は、路線認定が「公共のため」であるか否かの判定は、土地収用法による「事業の認定」にまつべき旨を主張するのであるが、道路予定地についてその所有者と任意の売買ができる場合は土地収用法による収用をしないのであつて、その場合にも路線の認定は公共のためにせられるのであるから、この公共性の判定は土地収用法によるものでないこと明白である。もちろん、公共のためであるか否かの判定は道路管理者の恣意に委ねるべきものではないから、市町村長が路線を認定するには、あらかじめ当該市町村の議会の議決を経なければならないこととされているのであつて、本件について、その議決を経たことは冒頭判示のとおりである。従つて土地収用法による「事業の認定」がないからといつて本件路線の認定を無効とすることはできない。

控訴人の本訴請求は本件路線の認定が無効であることを前提とするのであるが、控訴人主張の事実によつては、これを無効と認め難いこと前説示のとおりであり、本訴請求の失当であること既に明白であつて、進んで爾余の判断をするまでもなく、これを棄却する外はない。

右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴はその理由がないから民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条の各規定を適用して主文のとおり判決した。

(裁判官 梶村敏樹 岡崎隆 堀田繁勝)

(別紙目録省略)

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十六年二月十二日別紙目録記載の士地についてなした湯本町町道第二一二号路線の認定が無効であることを確認する。被告は同日湯本町公示第一〇号を以てした右土地についての路線認定の告示の取消をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、つぎのとおり述べた。

(一)、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)は、以前訴外加藤喜代子の所有であつたが、原告は昭和二十五年二月二十六日同人からこれを買受けてその所有権を取得し、そのうちの第一の土地は昭和二十七年二月二十六日、第二の土地は昭和二十六年五月三十日、第三の土地は同年五月十八日所有権取得登記を経由したものである。

(二)、而して本件土地の状況は私道の敷地であつたが、当時の湯本町長松島佐和治(以下単に被告という)は、町議会の議決を経た上、昭和二十六年二月十二日本件土地につき湯本町町道第二一二号を以て路線を認定して区域を決定し、同町公示第一〇号を以て路線認定の告示をした。

(三)、ところで私有地に路線の認定がなされ、その区域が決定されると、借用開始前と雖もその土地に対する私権の行使が制限されるものであるから、路線の認定及び区域の決定の処分は常に財産権の侵害を伴うものとして正当な補償なしにはできないものであることは憲法第二十九条第三項により明かである。そしてその補償に関する手続がその処分に先行するか遅くともそれと同時になされるのでなければ路線の認定は憲法に違反するものとして無効になるものといわなければならない。そうであるのに、被告は本件土地について、補償に関する手続をすることなしに路線の認定及び区域の決定をしたのであるから本件路線の認定は無効である。尤も本件路線の認定及び区域の決定は旧道路法の下においてなされたものであるが、仮に旧道路法の下においては、それらの処分のみによつては未だその土地の私権が新道路法第九十一条第一項所定の制限のような制限を受けることがないとしても、新道路法の施行と同時に本件土地は同法による私権の制限を受けるに至つたものであるから、被告において、新道路法の施行と同時に補償に関する手続をしなければ、本件路線の認定は憲法に違反するものとして効力を失う筈である。それなのに、被告はその当時までにかかる補償に関する手続をしていないから本件路線の認定は効力を失つたものといわなければならない。

(四)、なお、被告が主張するように、訴外加藤喜代子において本件土地を道路の敷地として湯本町に上地する旨申出たことがあるけれども、それは同人が本件土地を原告に譲渡した後のことであつて錯誤によつてなしたものである。そのために同人は昭和二十六年二月十九日上地の申出を撤回し、被告もこれを承諾したのである。それゆえ結局この点についての被告の主張は失当である。

(五)、よつて、原告は本件路線の認定が無効であることの確認を求め、かつ、被告に対して路線認定の告示の取消を求めるものである。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁としてつぎのとおり述べた。

(一)、原告主張の(一)の事実中、本件土地が訴外加藤喜代子の所有であつた事実及び同土地につき原告主張の頃原告に対する所有権移転登記がなされている事実はいずれもこれを認めるがその余の点は知らない。

(二)、原告主張の(二)の事実はこれを認める。

(三)、原告主張の(三)の事実中、被告が原告主張の頃までに本件土地の路線の認定につき、原告の主張するような補償手続をとつていないことはこれを認めるが、その余の点は争う。私有地に路線の認定がなされ、その区域が決定されても、道路管理者が敷地の買収その他の方法によつてこれを支配する権原を取得するまで道路は成立しない。

而して旧道路法の解釈としては道路の敷地の所有権が制限を受けるのは道路が成立してからのことである。それゆえ、本件土地について路線の認定がなされたからといつてそれのみで直に原告の本件土地の所有権が侵害されるものとすることはできない。尤も、その後新道路法の施行により、本件土地が同法第九十一条第一項所定の私権の制限を受けるに至つたことは否めないけれども、そのために原告の主張するような理由によつて被告のなした路線認定処分が憲法に違反することになつて効力を失うということはない。

(四)、仮に、原告主張の如く、旧道路法の解釈上、路線の認定ないし区域の決定によつて将来道路の敷地となるべき私有地の私権の行使が制限されるものとしても、昭和二十六年一月二十二日、当時登記簿上本件土地の所有者になつていた加藤喜代子において本件土地を道路の敷地として湯本町に上地する旨申出で同月二十二日被告がこれを受理しているのであるから、この点からいつても本件路線の認定に際して原告に原告主張のような補償をしなかつたからといつて路線の認定が憲法に違反するものということはできない。尤も本件路線認定後の昭和二十六年二月十九日、加藤から、上地の申出が錯誤によるものであるとしてその撤回の申出がなされたことはあるが、被告がこれを承諾した事実はない。なお、仮に加藤のした上地の申出に錯誤があつたとしても、それは同人の重大な過失に基くものであるから、加藤自らその無効を主張することはできない関係にあつたものである。

以上のように、本件路線の認定は適法にして有効なものであるから、それが無効であることを前提とする原告の本訴請求は失当である。

(証拠省略)

理由

一、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)が以前訴外加藤喜代子の所有であつた事実及び右土地につき原告主張の頃加藤から原告に所有権移転登記がなされている事実は当事者間に争がない。してみれば反証のない本件においては、本件土地は原告の所有に属するものと推定すべきである。

二、而して本件土地は私道の敷地であつたが、被告の前任者である湯本町長松島佐和治(以下単に被告という)は、町議会の議決を経た上昭和二十六年二月十二日本件土地につき町道第二一二号を以て路線の認定をし、かつ、区域を決定して同町公示第一〇号を以て告示したことは当事者間に争がない。

三、然るところ、原告は、私有地上に路線の認定がなされ、その区域が決定されると、その土地の私権の行使が制限されるので、かかる行政処分は財産権の侵害を伴うものとして、その処分に先行しまたは遅くともその処分と同時に正当な補償をしなければ路線の認定は憲法第二十九条第三項に違反する無効な処分になると主張するので、按ずるに、私有地に対して路線の認定及び区域の決定がなされるとその土地上の私権の行使が制限されることは旧道路法の下においてもありうることであるけれども、右の行政処分によつて右土地の所有権者が損失を受けたときはその補償を請求することができるのであるから、それによつて土地所有権者は憲法第二十九条第三項所定の正当な補償が得られるわけである。それゆえ、路線の認定ないし区域決定の処分をする場合には、それに先行するか遅くともそれと同時に補償に関する手続をしなければ憲法第二十九条に違反するという見解は採用できない。従つて被告において原告主張のとき迄に被告が損失補償に関する手続をしていないことは当事者間に争がないけれども、そのことから本件路線の認定が憲法に違反する無効な処分であるということはできない。また、その後新道路法が施行され、本件土地が同法第九十一条第一項所定の制限を受けることになつたからといつて、その施行迄に道路管理者において補償の手続をとらないことによつて本件路線の認定が憲法第二十九条に違反することになつたということもできない。結局、被告のなした本件路線の認定が憲法に違反する無効な処分であるということはできないのである。

四、而して、原告の請求は、いずれも本件路線の認定が無効であることを前提とするものであるから、他の争点を判断するまでもなく、その理由がないことは明かである。よつてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三二年七月三〇日横浜地方裁判所判決)

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